S原:さあ、今回はゴリラ対人間!
Y木:コメディ?
(あらすじ)
小説家を夢見ているサラリーマンのハリーは、執筆活動に集中するため、家族と離れてニューヨークのアパートでひとり暮らしをすることに。そんなハリーの前に突然、人間の言葉を話すことのできる巨大ゴリラが現われる。
S原:これは、わりと面白かったで。
Y木:ジェームズ・フランコって、誰?
S原:僕も知らんかった。けど「127時間」(2010)の主演と聞いて、「あーあの人か!」と。あれは凄い映画やったなあ。(アカデミー主演男優賞に初ノミネート) 映画ファンとしては当然知っているような人なんかもな。お恥ずかしい。
Y木:おれらは最近の映画事情に疎いからな(苦笑)
S原:うん。で、この人は俳優で映画監督もします。大学で修士号もとったり学のある人みたい。この映画でも製作・監督・主演をしています。
Y木:よっぽどこの映画を作りたかったんやな。
S原:もとは舞台らしい。特典でインタビューがあって製作について話すねんけど、舞台の映像がチラッとでてくる。たしかに、舞台的かも。
Y木:へえ、元は舞台なんや。これ、コメディやろ?
S原:うん。主人公はもちろんジェームズ・フランコが演じてます。いまは電話会社で働いてるねんけど、実は小説家になるという夢があるねん。小説を書こうとするけど、なかなかすすまない。主人公は「執筆がすすまないのは、騒がしい家庭環境(妻子)のせいだ!」とゴネて、1人でニューヨークにアポートを借りて小説を書くのに集中しようとします。そこで、大きなゴリラがでてきます。ゴリラはアフロシャツを着てるねん。「なぜゴリラがいるんだ!?」と言うと「おいおい、おれはルームメイトだよ、よろしくな」
Y木:なるほど。そのゴリラと主人公とのやりとりが面白さなんやろ?
S原:その通り。たぶん舞台では、その会話中心やったんとちゃうかな。それで、ゴリラは、主人公の書きかけの小説を読んで「これじゃダメだ」「面白くない」と一刀両断する。で、「こうすればもっと良くなるぞ」と言い出して……
Y木:ああ、そういう話か。どうせゴリラの方が上手く書くんやろ?
S原:というか二人三脚で小説を作っていく、という感じかな。コメディでは、よくあるパターンやけどな。
Y木:あれに似てない? ウディ・アレンのやつ。
S原:「ブロードウェイと銃弾」(1995)やろ。本物のギャングのくせにシナリオを書くのが上手くて、主人公が翻弄される話やな。あれも良かったけど、この映画ではウディ・アレンみたいな洒脱な感じはなかったかな。
Y木:ウディ・アレンよりもバタ臭い?
S原:バタ臭いというか、うーん。上手く言えないけど、この主人公に感情移入しにくいねん。自分の才能が(たぶん)ないのに、妻子のせいにしたり、他人にやつあたりしたり、結構きつい言葉を言うからな。
Y木:性格が悪い?
S原:もちろん「狙い」ねんやけどな。女性に対してもすごく適当で、結局それがもとで夫婦関係もダメになってしまう。それでも、完成した小説をニューヨーカーに送って、結果を待つ。
Y木:どうなるの?
S原:ダメです。
Y木:やっぱりな。
S原:一応、観客は「(書いてる)小説が面白いのかどうか」は分からないように演出されてるねん。なので、最後まで観て「ああ、主人公に小説の才能がないのね、やっぱり」と思うのよ。
Y木:なるほどな。
Y木:最後はどうなるの?
S原:最後がちょっと面白い。もうネタバレになるねんけど、主人公は小説掲載を断られて自棄になる。ゴリラとの共同生活を解消する、と言い出す。そんな主人公に対して、主人公しか知らない子供の頃のエピソードを、ゴリラが話し出す。それは主人公にとって悲しい出来事で、誰にも言ったことのない話やねん。
Y木:ん? どういうこと?
S原:主人公は「なぜ、おまえがそのことを知ってる?」と聞くけど、ゴリラは答えない。
Y木:ゴリラは、主人公の妄想だったというオチ?
S原:たぶんな。ていねいに説明しているわけじゃないから、ハッキリとはわからんけど。
Y木:心の病気だったってことか。
S原:そのへんも曖昧やな。でも、いままで自分勝手なドタバタコメディだったので、最後でひっくり返る構成やねん。ここはなかなか面白かった。
Y木:わりと良い感じやん。
S原:映画自体は普通にできてるけど、やっぱり主人公がなー。性格がちょっと好きになれない。それこそ、ジェームズ・フランコのファンなら楽しめると思う。
Y木:そういう映画でしょ。
S原:というわけでみなさん。ジェームズ・フランコの知性が見え隠れして、その分おバカなコメディ要素が薄まった気がする映画ですが、変則なコメディとしてはアリです。舞台や芝居に興味がある人ならまた違った感想になるかも、です。というわけで、まずはレンタルからどうぞ~。