S原:さあ、今回はヴァンパイア!
Y木:吸血鬼ものか。
(あらすじ)
葬儀屋ルカードは、偶然に事故の現場に居合わせ、生き残って女の方を勝手に連れ帰る。母親の事故死を知らされたマリーは町に向かうが、遺体を引き取らせて貰えなかった。実は町の住人の多くが吸血鬼で、弱った人間を見つけては皆で血を吸っていたのだった。血を吸われたマリーの母も吸血鬼と化し、娘へと襲い掛かる!
S原:これは先週に観たけど、もうほとんど覚えていない(苦笑)
Y木:それって、映画を観る意味あるんか?
S原:言い返せないです……。昔ビデオ(VHS)で3倍録画したら、画面がボヤボヤになってたやん。これは、あれをそのまんまDVDに焼いただけちゃうかな。
Y木:えー、それって商品として世に出してええんか?
S原:ええんやろうな。こうやって買う人間もおるから。ただ肝心の中身はなあー……かなりだるいのよ。
Y木:下手すぎて周回遅れで面白いというのもないの?
S原:ありません。ただ、下手なだけという。ただ、最後の30分くらいはちょっと面白いねんけどな。
S原:一応、タイトルに「ドラキュラ」となっているけど、吸血鬼が正解です。アメリカの田舎で、吸血鬼達がひっそりと暮らしています。たまに死んだ人間の血を吸います。
Y木:吸いますって、墓から掘り起こして?
S原:いや、葬儀屋のふりをして、隙を見てチューチュー吸うねん(笑) でも葬儀屋としては結構真面目に働いてるみたいよ。
Y木:真面目にと言われても困るけどな。それで?
S原:まずは、よくわからない公道レース(ヤングたちが車を飛ばしている)の場面からはじまります。これが、あとで伏線になるのかと思っていたら、まったく関係ありませんでした。なので、単純に人生の数分間を浪費しただけです。
Y木:レースの場面が撮りたかったんやろうなあ。
S原:そのあと、その田舎に住んでいる母親が死んだと聞いて、娘が帰ってきます。夫も一緒です。葬儀は家で行いたいから、自宅に遺体を持ってきてくれと言いますが、葬儀屋は渋ります。自分たちで血を吸っていることがバレてしまうからな。
Y木:なるほど。
S原:で、結局、その母親(おばあさん)が吸血鬼になってしまいます。映画としてはダメダメやけど、このおばあさん吸血鬼だけは良かった。すっごい怖い顔するねん。夜中にウロウロして、子供と会うねんけどな。普通なら、子供が「ギャー!」とか言うやん? この映画では子供がじっとおばあさんを観るだけ。おばあさんも、子供に見つめられて、ちょっと困った顔をします(笑)
Y木:なんやねん、その珍場面は。
S原:一応、吸血鬼を怖く演出しようとしていて、監督がやりたいことは分かるねんけど、田舎の人達とか吸血鬼たちの人間関係とか全然わからないから、誰が何をしているのかよく理解できないのよ。印象に残る場面もないから、かなり退屈やったなあ。
Y木:いつものことやん。
S原:そうなんけど、せめて「ツッコミどころ」が欲しかったな。このブログのために。
Y木:誰が、こんなブログのために映画を作るねん。ラストは?
S原:最後は、もちろん吸血鬼たちと対決しておしまい。吸血鬼たちが車に近づいたところで、仕掛けていた手製の発火装置でドカン!……まあ、たき火程度やったけど。そのあとに、胸に杭を打っておしまい。
Y木:典型的な吸血鬼映画の終わり方やな。
S原:そのあとがちょっとだけ面白いねん。おじさんが後ろ姿で「やりきったぜ……」って感じでむこうへ歩いていきます……やりきってないのに(笑)。 そこで字幕が出てきます。「この男は第一級殺人で有罪判決を受けた。吸血鬼の話を誰にも納得させることは出来なかった。彼の妻の遺体はまだ発見されていない・・・」
Y木:なにそれ?
S原:吸血鬼の話をしても誰も信じないから、この男は刑務所に行ったってことよ。
Y木:後味わるー……
S原:こんな字幕は、「処刑教室」(1982)のラストの字幕に通ずるよな。
Y木:あーあれ。
S原:生徒を殺しまくってるのに、「この事件について目撃者がいなかったため、主人公は起訴されなかった。」で終わるという。
Y木:あれは笑ったよな。
S原:好きよ、「処刑教室」(笑) ああいう感じで作れば、この映画も少しは面白くなったかも……いやー、無理かな、やっぱり。というわけで、みなさん。マニア向けとしかいいようがない映画ですが、まあわざわざ観なくてもOKというのが本音です。おばあさんが怖い顔して歩くのが好きな人のみゲット、プリーズ! あ、言い忘れた!
Y木:なんやねん、もう。
S原:このジャケットの女性の顔、むっちゃ怖くない? こんな女性を奥さんにしたら大変やで?
Y木:………(無表情)