あなたの知らないワゴンセールの世界

ほとんどの人が見向きもしない中古屋やレンタル落ちのワゴンの中…しかし、その小宇宙にはまだ知らない映画たちが眠っている(はず)!そんな映画を語るブログです(週末 更新予定) 娘曰く「字ばっかりで読むしない」「あと、関西弁がキモイ…」そういうブログです

「ヴィタール」(2004年)「私が、生きる肌」(2011年)の巻

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S原:今回はこちらの2本立てです。

Y木:おー、なんか2本とも問題作の予感が…

 

(ヴィタールのあらすじ)

事故ですべての記憶をなくした博史(浅野忠信)は、なぜか医学書に興味を示すようになり、医学部に入学。その解剖実習で彼の班に若い女性の遺体が割り当てられた。博史は実習にのめりこみながら失われた記憶を取り戻しつつ、いつしか現実とは異なる世界を生き始めるようになる。そこには、涼子という女性がいた…。

 

(私が、生きる肌のあらすじ)

天才的な形成外科医ロベルが夢見るのは、かつて非業の死を遂げた最愛の妻を救えるはずだった“完璧な肌”を創造すること。そのため、画期的な人工皮膚の開発に没頭していた。やがて良心の呵責を失ったロベルは、監禁した“ある人物”を実験台にし、亡き妻そっくりの美女を創り上げていく…。

 

S原:今回の2本は、両方とも「死体」「肢体」「肉体」を扱っているねん。ふつうの人は敬遠するような異色作といって良いと思う。

Y木:もしかして…死体をレイプしたりするのんか?

S原:いや、ぼくもそれを覚悟したけどそうではなかった。「ヴィタール」の監督は、塚本晋也。「私が、生きる肌」の監督は、ペドロ・アルモドバル

Y木:2人とも作風・個性は全然違うけど、両方ともに、独自の個性があって熱烈なファンがいる監督やな。塚本晋也は、おれら世代にとっては、やっぱり「鉄男」やろうな。

S原:当時かなり話題になったからなあ。「自主映画でここまでやったやつがいる!」みたいな興奮はあったなあ。ただ実際に観たら、ぼくはあまり関心しなかったけども。

Y木:おれも全然ダメやったなー。でも、それこそ映画好きのツレが「すっげえアナーキー!こんな映画観たことないで!」って興奮してたのを覚えてる。

S原:もうひとりのアルモドバルという監督は実を言うと、名前だけなんとなく知ってた…かな。

Y木:えーペドロ・アルモドバルは有名やん!「神経衰弱ぎりぎりの女たち」(1988)で話題になったやろ!

S原:あ、そう?

Y木:おまえ、ゴシップとかワゴンの世界だけ詳しくなって、なんかゆがんだ世界に生きてるなー(苦笑)

S原:うーん1994年頃というと、結構映画を観てた時期なんやけど、なぜかスルーしてるなあ。「神経衰弱ぎりぎりの女たち」はどんな映画やった?

Y木:観たかもしれんけど、覚えてない。

S原:なんやねん。お前の記憶力の低下ぶりは特筆に値するなあ。

Y木:まあでも、今スペインの巨匠といえばこの人というくらいの人なのは間違いないで。

S原:あ。でも、あとでフィルモグラフィーをみたら「トーク・トゥ・ハー」という映画があって、「あーあの映画を撮ったやつか!」と納得したな。あれも、なかなか問題提起する内容やったなあ。

Y木:まあ有名であろうとなかろうと、別に監督(の個性)とか知らなくても映画は楽しめるから。逆に予備知識がない分、映画自体に向き合えるような気がするけどな。おまえも「予備知識がないほうが映画が楽しめる」って、よく言うやん。

S原:うん。そう思うで。でもなー、ぼくらが学生時代に、監督や脚本がどうとか、カメラワークがどうとか熱く語ってたあの情熱は、いったい何処へ行ったのか…?(遠い目)

Y木:まあな…(遠い目)まあそれはええとして、この2本はどうやった?両方とも賛否を呼んだんとちゃう?

S原:「私が、生きる肌」のほうは、たくさんの賞を獲ってるみたい。

Y木:ほー。この題材で賞を獲るかー。

S原:この2本を観ての共通の感想は、『脇役が主役を喰ってる』ってことかな。要するに、主演男優(浅野忠信アントニオ・バンデラス)が、相手役の女優(KIKI(キキ)、柄本奈美、エレナ・アナヤ)に完全に喰われてるねん。

Y木:浅野もバンデラスも主演クラスやん。それが喰われるって、すごいな。

S原:まず、「ヴィタール」のほうを話すと、浅野は記憶喪失の医学生やねん。少し前に交通事故で恋人を亡くしたトラウマがあるねんな。やがて浅野は、解剖の授業や実習に異様に興味をもつ。医学部の同級生でキキがいて、いつも一人でいるような浮いた存在なんやけど、なぜか浅野にアプローチをしてくる。キキという人は初めて見たけど、なんともいえない独特の雰囲気を持つ人でな。もちろん役柄もあるんやろうけど、人を射抜くような眼をしてててすごい存在感やねん。それでいて壊れそうなガラスを胸の内に抱えてるような、そんな人やったな。モデルもしているみたいやけど、いわゆる美形でもない。この人は良かった。

Y木:へー。

S原:この映画では、カギになる女性がもう1人おるねん。柄本奈美という人でな。この人はダンサーらしい。映画出演はこれ1本のみ。いやー、この人も、ものすごい存在感やった。同じダンサーでは、草刈民代(「シャル・ウィ・ダンス?」のヒロイン)がおるけど、初見の衝撃は柄本奈美のほうが上やと思ったわ。演技とかセリフなんかもうどうでも良くて、本当にそのまま(役のまま)に見える。さすがのダンスシーンも見応えがあった。

Y木:おまえが、俳優を褒めるのは珍しい気がする。

S原:あーそうかもな。じつは浅野忠信という俳優が苦手でな。なんか意味深な演技で、観ているこっちが頭を使わないといけない劣等感を感じたりするねん。ボソボソと喋るから、聞き取りにくいしな…(苦笑)ぼく好みの容姿でもないし。だから、この映画もスルーしようかな、と迷ったくらいやねん。

Y木:浅野が、2人の女性の間で揺れ動くというストーリー?

S原:簡単に言うと、そういう話。でも、ひとりはすでに死んでるから向こうの世界(死後の世界?)に会いに行くという感じかな。現実世界は解剖室で実習したり、暗い部屋に住んだりしてるけど、死んだ恋人とは開放的な海岸とかで再会するねん。ありきたりな対比やけど、悪い気はせんかった。

Y木:死後の世界にいる彼女と、現実世界での女性との変則の三角関係か。

S原:そうやな。でも死後の世界といっても、幻想なのか現実なのか浅野が考えている妄想(夢)なのか、よくわからないまま映画は進むから、関係性がハッキリしないといえばいえる。

Y木:もっと「死体」「肉体」とか「欲望」「衝動」とかを追求しているんかと思ったわ。

S原:もちろん、そういう面はあるで。解剖の場面は多いし、鉛筆で描いた解剖図(内臓とか神経とか)をスケッチも象徴的にでてくるしな。はじめに言った通り、死体解剖とかえげつない雰囲気かと思ってたけど、意外と全体的にはフワッと優しい雰囲気もあって不思議な映画やった、というのが僕の感想やな。性的なシーンはかなり重要なんやけどキレイに撮れてるし、そこも良かった。セリフも過剰に説明せずに過不足がない感じで、今まで観た塚本作品中で一番好きかもしれん。ラストも、前向きに終わるしな。

Y木:ふーん。暗くてドロドロしてそうやけど、ちゃうんや。良くないところは?

S原:塚本作品はノイズ系ミュージック(呼び方は分からん)が、よく使われるけど、本人が思っているほど効果を生んでないんとちゃうかな。これは感性の問題かもしれんけど、ときどき耳障りに感じる…あと、さっきも言ったけど、幻想と現実とが混在するような構成やから、観る人によっては「意味わからん」ってなるやろうな。でも、ぼくにとっては2人の女優の存在がすべてやったな。

Y木:なるほどな。じゃあ、もう1本の「私が、生きる肌」は?

S原:また「ヴィタール」とは全然違うねん。もっと即物的というか。バンデラスが形成外科医で、ある女性(エレナ・アナヤ)を『作っていく』というストーリーなんやけど、意外とバンデラスが狂っている感じはでていなかったと思う。

Y木:へー、ストーリーは十分狂気じみてるけどな。

S原:そうやねんけど、予想外にスタイリッシュに撮ったりして、ドロドロと言う感じではないかな。監禁される部屋も清潔感があるしな。この映画でのエレナ・アナヤは全身タイツで、ほぼ全裸に近い。無垢で外の世界をなにも知らない存在をよく演じたと思う。レイプされるシーンもあるしな。

Y木:え?レイプされるの?バンデラスが大事に作ってた「女性」やろ?

S原:だから、レイプした男はバンデラスに撃ち殺される。少しネタバレやけど、バンデラスは死んでしまった妻とそっくりに再生(複製?)するために、こんな行為(手術、実験、隔離)をしてるねんな。しかも妻は、亡くなった娘とそっくりやったから、同時に娘も再生することになるわけ。

Y木:おー…それは歪んでるなあ…

S原:本来ならバンデラスの狂気とか妄執がメインなんやけど、さっきも言った通り、エレナ・アナヤ(ベラ役)の雰囲気というか存在感がすごくて、そっちは霞んでるかな。このへんは観る人によって印象が変わるかもしれん。

Y木:うん?ちょっと待って。そもそも、再生というか改造しようとする元の体は誰の体?死んだ妻とか娘の体をそのまま使ったの?

S原:ちゃいます。

Y木:えー、まさか身元不明人というかホームレスの体とかを使ったの?

S原:ちゃうねん。これもネタバレになるけど…ネタばれが嫌な人はここで読むのをやめてほしい。じつは娘があるパーティで強姦されてしまうねん。そのショックで娘は自殺してしまう。バンデラスは、その強姦した犯人(男性)を監禁して、実験(形成手術)をしていく…

Y木:えー!じゃあ、奥さんや娘にそっくりに作っていく土台の人間(体)は、男ってこと?

S原:そうです。だから、性転換手術もします。

Y木:うわー、なんちゅう映画や…

S原:まあ、そのあたりは汚らしくは描いてはないけど、それでも「ちょっと待てよっ」と思うわな。

Y木:ラストはどうなんの?

S原:最後は、妻(娘)として「完成」したエレナ・アナヤが、バンデラスを撃ち殺す。そして、自分の実家(男性だった頃の実家)に帰る。みんなは息子が女性になっているので驚く…というところでおしまい。

Y木:そこで終わりかー。たしかに異色作かもな。今回、2本を比べてどうやった?

S原:映画の完成度では「私が、生きる肌」のほうが高いと思う。でも、個人的には「ヴィタール」のほうが印象に残ったわ。

Y木:まあ、そういうケースもあるやろな。

S原:さあ、みなさん、今回の2本はかなり強烈です。映画を観終わったときに、なにかを誰かに話したくなるのは間違いありませんよ。巷にあふれた「よく出来た映画」に飽きてきた人、個性的な監督作品を観てみたい人、「肉体」と「精神」などに興味のある人、なによりも演技の上手下手を超越した存在感を放つ女優をみたい人は、マストバイです!今回はなかなかすごかった!