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S原:今回は町興しのために作ったという説のある、この映画!
Y木:なんじゃ、これは……(絶句)
(あらすじ)
アメリカで町起こしのために製作されたSFモンスター作品。カリフォルニア州の町・ミルピタスに突如現れた巨大な蝿男。町中のゴミ箱を漁り暴れ回る蝿男に住人たちはパニックに陥る。救助隊も出動し、蝿男を退治するために作戦を練るが…。
S原:今回は、蓮實重彦風でいくわ。
Y木:なんやねん、いきなり。
S原:あなた、インタビュアーね、ぼく、蓮實重彦ね。
Y木:ごっこ遊びかよ。
S原:はい、よーいドン!
Y木:まじでやるんかい。……えー。蓮實先生、今日はよろしくお願いいたします。
蓮實:あーよろしく。
Y木:今回は「悪魔のゴミゴミセンター」という映画なんですが、これがもう全世界で大ヒットしておりまして。今度、USJでもゴミゴミモンスターのアトラクションが新しく出来るという報道がありました。蓮實先生としてはこのあたりはどう思われますか?
蓮實:まず、人間が共通認識として持っている「映画」もしくは「映像表現」としての解釈というものあるだろう?
Y木:はあ。
蓮實:およそ、生真面目なB級映画ほど、<知性>にふさわしからぬものもまたとあるまいね。
Y木:そりゃ、B級映画ですから知性とは合わないでしょうね。出演しているのも全員素人ですし。

蓮實:何にもまして、カクカクした特撮と虚脱を含む笑いとで、<知性>を軽やかに彩らねばならぬわけだよ、きみ。
Y木:彩るというか、そこが見せ場なんじゃないですか、一応。
蓮實:うむ。そして、いくぶんかの距離の意識をもって、映像にしなやかなうねりを与える。そういうことが大事なんだよ。
Y木:しなやかなうねり、ですか。えーと具体的に言うと?
蓮實:なめらかに動くことを知らないモンスターは、醜さと同義語にほかならぬってことだよ。
Y木:そりゃゴミですから醜いですよ。ゴミゴミモンスターですよ?
蓮實:あの、馬鹿な質問はやめていただけますか。
Y木:先生が言い出したことですよ。この映画ではモンスターはコマ撮りだし、演技も何もあったもんじゃないし、カットごとにモンスターの大きさが違うし、画像がボヤボヤで何が映ってるか分からないですし……
蓮實:あの、質問なら簡単におっしゃってください。
Y木:まあ、そういうのもB級映画あるあるのには、ご愛敬ですよね。
蓮實:それもお答えいたしません。
蓮實:さらに、これだけは言っておきたいんだが、「虚偽」は、先験的に「真実」の前に色あせたものとして置かれるべきなんだ。
Y木:はあ。
蓮實:それに、「解決」が誇りうるその「価値」は、ひたすら提起された「問題」に照合した上ではじめて「測定」されるといった具合なんだよ。
Y木:「 」だらけで、読みにくいんですが……結局、どういうことなんでしょうか。
蓮實:それが、本来果たすべき「並置の機能」を失って、遂にはある一つの差別を幻影としてあたりに蔓延させてしまう、ということは分かるだろう?
Y木:……よくわかりませんが。
蓮實:「名作映画」と「Z級映画」とがそれぞれ異なった領域を持ち、「問題」と「解決」とがたがいに固有の構造を持っている事実を忘却の彼方へと葬りさってしまう……このあたりだろうね、問題は。
Y木:あのー……
蓮實:なんだね? 知性の低い下等貧民よ。
Y木:誰が下等貧民なんですか。さっき、「名作映画」と「Z級映画」とがそれぞれ異なった領域を持ち、とおっしゃいましたが。それは当たり前じゃないでしょうか。
蓮實:うむ。
Y木:もうちょっと読者にも分かりやすく、具体的に映画を挙げて教えてくれませんか。
蓮實:そうだね。たとえば、スピルバーグの「激突!」があるだろう?
Y木:ありますね。
蓮實:たくさんの映画ファンがみているだろう。だからこそ「名作」と呼ばれている。そうじゃないかね?
Y木:そうですね。
蓮實:ところが、ほとんどの人は「激突2006」は観てないだろ?
Y木:観てませんね。
蓮實:君も観ていないだろう?
Y木:観る気もしないですね。
蓮實:つまり、そういうことだよ。
Y木:はあ。
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蓮實:よく考えれば、80年代においては、「スピルバーグ的社会主義」などといういい加減な言葉が出てきた結果、また、日本においては、「角川メディアミックス共産主義」などという無意識の転向者の回収装置が映画界で機能してしまった結果、「社会と文化」という概念がまったく信頼を失ってしまったと言える。とはいえ、薬師丸ひろ子・原田知世の全盛期の人気は当時どれほどすごかったのかとか、あだち充は毎回同じような漫画を描いてるじゃないかとか、なぜサングラスをかけたら宇宙人が観ることが出来るのかとか、本当に戦争が起きたらメガフォースを派遣したらいいじゃないかとか。そのような次元を超えて「社会」と作品との関係を見なきゃいけない。
Y木:あのー……
蓮實:なんだね?
Y木:この映画について語ってほしんですけど。
蓮實:うむ。「悪魔のゴミゴミモンスター」のことかね?
Y木:はい。
蓮實:普段、ぼくは鑑賞し得ない種の映画だね。
Y木:そうでしょうね。


蓮實:シュレイダー氏の言葉に従ってこのような種の映画を定義することは、結局のところ、それを単調さと呼んで批判したかつての日本の批評家たちの視点とさして異質のものとはいえないんだよ。
Y木:誰なんですか、シュレイダー氏て。
蓮實:つまり、誰もが、モンスター映画の形式の中に同じものをみていながら、あるときまで創意の涸渇ぶりと断じられていたものが、独特な世界観の表現に通じる貴重な姿勢として評価されはじめたというのであれば、こうした事態は、ただ時代の変化を証拠だてるのみであると言っても過言ではなかろう。
Y木:過言でしょ。

蓮實:少し別の表現で言おう。かつて批判の対象であったものが徐々に再評価され、その再評価に、異質の文化圏に属するが故に相対的に非゠歴史的な姿勢をとることが出来たのは、このブログはじめマニア(オタク)なブロガーたちが深く貢献したという話になってしまうんだよ。
Y木:ほう。ブロガーが映画に影響を与えてると?
蓮實:そう。それは、同じ一つの「記号」に対する読み方が変ったということ。つまり、われわれは、「悪魔のゴミゴミモンスター」に対して、その変った読み方にいま一つ別の読み方をつけ加えようとは思わない。
Y木:そりゃ思わんでしょうね。「あくまのゴミゴミモンスター」としか読めないですし。
蓮實:そうではなく「記号」としての「悪魔のゴミゴミモンスター」そのものを変化させなければならない。
Y木:いや変化なんか必要ないですよ。昔の映画だし、自主映画だし。
蓮實:うむ。そうなのかね。最後に一言いいかね?
Y木:はい、どうぞ。
蓮實:私は、この映画について語るべき言葉をもっていない。
Y木:先生、それはどういう意味でしょうか。
蓮實:なぜなら。
Y木:はい。
蓮實:なぜなら、この映画を観てないからだ!
Y木:観てないんかい! はじめから言えよ!
(おまけ:大陸書房から販売されていたVHS。当時としては破格の安価1980円で販売されたが、実際に観たらみんなズッコケたという伝説のビデオシリーズの1本!)


